火山ガールがゆくっ!火山学者と学ぶ有珠山。
昨日は地元の小学生と火山についてお勉強に行ってきました。
火山の主治医とも言われる火山学者の先生と・・・・
地元というのは…
北海道の美しい「洞爺湖」のある町
『壮瞥町』です。
壮瞥町は有珠山や昭和新山(有珠山の側火山)という、生きてる活火山のすぐ側に町があります。
大きな噴火で言えば、1977年に噴火がありました。
2000年には隣の洞爺湖町の生活圏内に火口がいくつも出来、いつなん時、何が起こるかわからない、災害について改めさせられる噴火も起きました。
人的被害は無かったものの、あってもおかしくない場面は、いくつもあったようです。
そんな活火山と共に暮らす備えとして、
1983年から、子ども郷土史講座という有珠山への登山の事業が行われ始め、火山学者である岡田弘先生が、子どもたちと町民と火山へ行き『火山とは?』と、この火山と共にどのような心を持って共生すれば良いのか?を学びます。
私は横浜からこの壮瞥町に移住して来てすぐに
岡田弘先生と出会いました。
大学の教授というと、
研究に没頭し、研究室に閉じこもったイメージ、あまり人の声に耳を傾けない、一方的な主張…とかとか、勝手な先入観を持っていましたが…
それは私の勝手ないけないイメージです・・・
岡田先生は
『火山は決して怖いだけじゃないんだよ』
と、火山を良く知ることを教えてくれました。
そして、この「有珠山火の山とともに」という本を私に下さいました。
移住した当初は火山の噴火が頻繁に起こる場所とは知らずに引っ越してきてしまたので、結構ネガティブな感情を抱いていましたが・・・
今ではそれも一変して、火山が大好きになってしまいました。
それは知ったからです。火山を地球をそしてここで暮らしてきた人々の歴史を。
ここには火山とともに生きてきた人々の暮らしがある、そこに学びがあると、
岡田先生から学んだ、今から約100年前のここでの一つの歴史をご紹介したいと思います。
歴史の非科学と科学が共生した時代の瞬間・・・
この地域にはアイヌの人々が昔から住んでいました。
そして度重なる有珠山の噴火と向き合ってきた歴史があります。
多くの犠牲といえば1822年に火砕流の影響で100名近くの方が(諸説ありますが)亡くなったと記録があります。
こちらの写真は1910年の貴重な写真です。
有珠山が噴火前に前兆地震を起こすという特徴があると知っていたアイヌの人々は事前に避難をしました。
しかし、一部のシャーマン的役割である人たちは、きちんと正装を行い、刀を持って有珠山に対し祈祷をしています。
神様には良い神様と悪い神様がいて、この山で起きている地震は悪い神様の仕業だと、良い神様に出てきてもらいこの悪さを沈めてもらおう・・・
その祈りの儀式がこの写真で写っている「ロルンベの祭り」です。
では、時を同じくして、この山の反対側では何が行われていたか?
この有珠山の前兆地震の噂を聞きつけた室蘭警察署長(今でいう伊達地域)がこの現地に訪れます。(この有珠山のある町から車だと20分くらいのところです。)
そして西紋別村の村長と行き合い、もしかしたら噴火するかもしれないからと、
避難勧告を出し人々へ避難を呼びかけました。
すると次の日もっと地震が強くなり、いよいよ噴火するかもしれないと、勧告から避難指示に切り替えて、山から12㎞圏内の人々全員を山から遠ざけました。
すると・・・?
この次の日の夜に有珠山は噴火したのです。
そのおかげあって、被害者は出なかったそうです。
この室蘭警察署長さんはなぜそのような判断ができたかというと・・・
東京帝国大学の大森房吉先生の警察監獄学校において大森先生の火山学の講義を受けて事前避難対策の重要性を学んでいた、その経験が見事に生かされたという事だったのです。
1910年以前の1902年に発生した20世紀最悪の噴火災害と言われるプレー火山噴火は約28、000人が犠牲になりました。
同じくして日本でも1902年に鳥島噴火(東京から南方洋上約300㎞の位置にある伊豆諸島最南部の東京都下の小島)で海鳥の羽毛を採取させようと送り込んだ125名の島民が突然の噴火により全員犠牲になりました。
世界の人々は「火山」について科学的に研究をしようと舵を切り出したのです。それは多くの犠牲がありその上に歴史が上塗りされているからです。
地球と向き合うということの歴史的な背景にはこのように命の重みがあるのだと私は感じました。
だからこそ、災害で失って良い命なんて一つとしてない、
そのためには、人々が地球について知る、行動できる、そのようなスキルが必要なんだと思います。
たった一つの光の命を失うことなく、度重なる地球の現象をやり過ごすためには、私たち人間側の「行動」で多くの場合それは変えられるのだと思います。
有珠山のすぐ麓で暮らすことは、一見リスクなのかもしれませんが、
こうしてきちんと向き合い、恐れるだけではなく、知ることでその恐れを減らして行くというのはとってもとっても大事なこと、そしてそれは日本全国どこにいても必要なことだと感じます。
最後に、岡田先生は子どもたちに
「生きているよね?地球は。皆は生きているってわかるかい?」
「それは空気があり、水があり、食べられるものが育つことであり、それが生きている証拠で、もし地球が死んでしまっていれば、砂漠で水もなくなってしまう。月や火星と同じように人は住めないんだよ」
「生きているってことはそういうことで、それは火山が火山活動で作ってくれた恵があって私たちは生きているんだね」
「みんなも生きている地球、生きている火山をよく知って、仲良しになって、いざという時はどういう行動をすれば良いか、そういう心を持って地球と楽しく過ごしてくださいね」
とお話ししていました。
そんな活動をこの地域では35年も続けられています。
人々が住む地域でこのような学びが浸透すれば、きっと私たち人間はもっと知恵がついて災害をなくすことができるかもしれません。
と、そんなレポートを今日は書き綴りました。