火山ガールがゆくっ!!

火山が大好き火山ガールです。山ガールとは一味違う『火山』に魅せられている女子ですー

火山ガール、洞爺湖有珠山で火山国際交流の巻!①

火山が大好き火山ガールこと「カッピー」です!!

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下北半島ジオパークのレポートですが・・・少々時間がかかっているためアップは次回に・・・

 

今日は、先日「洞爺湖有珠山」にインドネシアは「ムラピ山」から火山関係者の方が来て交流事業を行ったのでその様子をレポートしておきたいと思います。

 

言葉は通じなくとも「火山」を通じ交流ができるという喜びを今回味わった火山ガールです・・・。

火山性ウイルスが脳まで犯されております重症患者です。

 

インドネシアといえば、世界的に見ても活火山が多い国ということで有名ですが、その数およそ130もあるとのことご存知だったでしょうか?(日本は111もの活火山があると言われています)

 

「ムラピ火山」は噴火活動が活発な火山として世界でも注目を浴びています。

 

ムラピ火山ウィキペディアより注釈)

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は、インドネシアジャワ島中央部の火山である。インドネシアでも最も活動的な火山で、ほぼ1年中噴煙を上げ、1548年以来68回噴火をしている。名称は「火の山」の意味。メラピ山とも書かれる。スマトラ島中部にも同名の火山がある。活動は40万年前から始まり、1万年前から活発になった。安山岩質の溶岩ドームを崩落させて火砕流を起こすことで知られ、メラピ型火砕流と呼ばれる。同様の例としては、雲仙岳がある。

 

今回神戸のFMわぃわぃというコミュニティラジオの理事をする日比野さんと和歌山大学の研究生で現在ムラピの災害観光の研究を行う間中さん(この旅の通訳も行っています)とムラピ山で災害に強い村づくりに励む三名が、有珠山地域の取り組みを学ぶプログラムとして訪れました >>>今回神戸のFMわぃわぃというコミュニティラジオの理事をする日比野さんら阪神淡路大震災の被災地から四名と和歌山大学の研究生で現在ムラピの災害観光の研究を行う間中さん(この旅の通訳も行っています)、そしてムラピ山で災害に強い村づくりに励む三名の計八名が有珠山地域の取り組みを学ぶプログラムとして訪れました。

【この取り組みは国際交流基金アジアセンター・アジア市民交流助成プログラムで平成15年から始まった洞爺湖有珠火山マイスターとの減災活動の交流・情報交換事業として実現しました。】

 

▼私はなんと今回火山マイスターとして初仕事を1977年有珠山噴火遺構公園でさせていただきました。火山関係者で海外の方(通訳あり)へのガイドの難しさも同時に体験する貴重な機会でした。

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私が意識したことはムラピで起こる災害の多くが火砕流だということを認識していたので、この遺構公園の「倒壊した病院」は地殻変動で起こった災害で、この倒壊は噴火の直接的被害では無かったという点をお伝えしました。

その一文「マグマの特徴の違いなどを伝えた」が新聞で紹介されましたが、火山が起こす災害が色々あるんだということをムラピの方と話したかったというのがありました。

▼新聞やテレビの取材も入る交流事業となりました。

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有珠山では過去に火砕流で多くの犠牲者を出した災害も起こっています。そしてこの建物が倒壊したような地殻変動も起こします。ムラピでの火山災害ではどうですか?」

という質問から情報交流ができました。

回答としては災害の多くは火砕流や土石流(泥流)で、さらにいえば多くの犠牲者を出した とのことで、このような災害例に非常に衝撃を受けたということでした。

 

その後は有珠山ロープウェイ

洞爺湖展望台で洞爺湖を一望しながら火山マイスターの名ガイドの

「後藤マイスター」により、洞爺湖の歴史、昭和新山の誕生ストーリーなど素晴らしい景色の中でガイドが行われました。

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洞爺湖展望台

火口原展望台へ・・・

この火口原展望台は40年前の1977年の火山活動でできた大きな火口を観察することができます。地球は生きているんだ!!とその温度感や力を目で見て感じることができる最高な場所!!もちろんムラピの方々も興味津々でした!!

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火口原展望台

その後は、新聞にも掲載された「三松正夫記念館」へ。

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火山に魅せられ、火山に一生を託した三松氏が克明に書き綴った昭和新山生成の記録をはじめ、 書画の才能あふれる巧みなデザインや書簡などの貴重な資料を展示。

三松正夫記念館の館長である三松三朗さんのお話を食い入るように聞く方々です。

ムラピの方も「有珠山に関わる方は次の噴火への意識を持った行動をして素晴らしい」という感想も持っていました。

 

そのほかの見学は洞爺湖中央モーターボートさんのボートに乗って・・洞爺湖の真ん中に位置する中島へも行きました!

こちらも火山マイスターでもあり、この地域でネイチャーガイドとして活躍しています名ガイド江川さんによる有珠山洞爺湖、中島のお話・・・

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ボート、これは大喜びの様子でした!!

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このように洞爺湖有珠山の様々なジオサイトを回りながら、有珠山の過去の噴火歴史や噴火による火山災害から町がどのように復興して来たか?など多くの交流が行われました。

 

天気に恵まれながらのフィールドでの活動もあり、洞爺湖観光情報センターでの「情報交換会」もあり・・・この情報交換会ではムラピでの活動の様子を伺うことができました。

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私は途中参加でしたので全てを聞くことができませんでしたが、その聴いた中で印象に残ったことがこちらです。

 

【ムラピ山でコミュニティラジオで活動中のジャックさんのおなし。】

・ラジオの活動資金を地域で育てたコーヒーを焙煎したものを販売して資金にしたり、観光客の登山ガイドや、子供達の課外活動のサポートで得た利益の20%をラジオ局で得ている。

・この先の噴火に備えて避難場所になるであろう人々と定期的に交流事業を行なっている。

 

【ムラピ山でコミュニティラジオで活動中のアンディさん(大学院生)のおなし。】

・私は火口から7キロという場所にあった集落に住んでいた。2010年の噴火によって火砕流の影響を受け80パーセントの集落が火砕流の直撃で住めなくなった。その後2年という長い仮設住宅での生活が続いた。なぜ長くなったかというと、多くの集落が被害にあって、4つの集落が集まったため、なかなかうまく復興住宅の確保に進まないため。

・被災前と被災後で変わったことは、私たちの住んでいた集落は畜産・林業・農業が多く、それらをほとんど失ったことで仕事がなくなった。体が動く若い人は長距離移動をしながら仕事へ行くが、それができない人が集まって(ここでは年配の方を指しています)テンペ作りを行うようになった。

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お土産でいただいたテンペ(日本の納豆のようなもの)

以前行なっていた乳搾りは今でも同じように行われている。

洞爺湖有珠山地域のみなさんが私たちは火山の恩恵を受けて生活しているという話をしていましたが、私たちも同様に火山の恵みでジンジャーを育てていたり、ジャワの砂糖を育てていたりします。そこから私たちはムラピの山麓で採れた原料を元にジンジャーシロップを作りファンドレイジングとしてコミュニティFMの資金源としています。

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アンディさんからいただいたジンジャーシロップ。壮瞥産りんごも使いアップルジンジャーケーキを作って食べて頂きました。

この活動がインドネシアの起業家やそれを目指している人たち10人を選ばれ、賞を頂いて、評価された。

・私たちの住んでいた集落が災害後大きな観光地になったという大きな変化があった。

 

というお話を聞くことができました。

 

実際に生の声を聞けたことが大きな意味があり、そして自分たちの地域と照らし合わせてみるのも大切なことかと思いました。

 

その後に、和歌山大学の研究生で今回通訳をつとめてくださった間中さんの研究のお話が非常に興味深かったです、そちらも少し書き留めておこうと思います。

 

・・・・・ということで長くなってしまったのでそれは次回に・・・

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有珠山という火山からどのような世界を創造したのかとっても興味が湧きます!