火山ガールがゆくっ!!

火山が大好き火山ガールです。山ガールとは一味違う『火山』に魅せられている女子ですー

火山ガールがゆくっ!!昭和新山誕生のお話。

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今日は壮瞥町の図書ボランティア主催で

 

昭和新山誕生物語』というお話会がありました。

 

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これは、三松正夫さん生誕130年を記念してのお話会で、三松正夫記念館館長の三松三朗さんが約2時間お話してくださいました。

 

火山ガールとしては、絶対に行きたい‼️

外せない‼️昨夜からワクワクしながらも

楽しみにしていたお話会でした。

 

なぜなら、私は昭和新山に魅せられて

火山好きになったので、昭和新山と三松正夫さんにまつわるお話ならなんでも吸収したい気持ちだけはあるのです。

(理想と現実は離れていて、なかなか覚えられないもどかしい気持ち有り)

 

私はきっと、この昭和新山や三松正夫さんと

ご縁があるのだと思います。

 

昭和新山と三松正夫の事を思うと

なぜか涙が出ます。

理由はわかりません。

でも込み上げて来てしまいます。

 

戦時中、神風日本には起きてはならない災害として、昭和新山誕生は世に伏せられ、

戦争の最中お国の為と火山学者の先生は来られない状況で(軍事機器の作成に必要な鉱物を得るための地質調査が優先とされ)

 

壮瞥町の郵便局長の三松正夫さんは

溢れ出る地球からのメッセージを後世に伝えるために命をかけて昭和新山の誕生を克明に記録した。

 

そして私はその歴史の足跡の上を歩いている。

 

正夫さんはどんな思いで

昭和新山と向き合っていたのだろう。

 

昭和新山は生まれようと苦しんでいたのかな、

 

お腹にいる赤ちゃんみたいに、

生まれる生みの苦しみを、

正夫さんはお母さんのように、一緒になって

体験したのかな。

 

写真でしか見たことない、昭和新山の生まれる

地球の素肌の美しさは、

生まれてくる赤子の赤ちゃんのよう。

 

山が生まれる姿って

なんて綺麗なんだろう…と苦労もしらずに思う私。

 

そんな三松正夫さんの意志を引き継いだ

三朗さんのお話は、いつも人間目線でわかりやすい。

そしてブラックジョークで人を和ませてくれる。本当にたのしくて、おもしろくて、

2時間じゃたりなかったくらい。

 

昭和新山の溶岩ドームを

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人間のお腹の中身と例えてくれる。

 

非常に粘性の高いマグマを人間に例えたら

便秘症と…

 

伊豆大島やハワイのような

サラサラと流れるようなマグマを

下痢症と…

 

そして昭和新山の誕生を記録した

マツダイアグラムを

母子手帳と、

 

とても身近な言葉で表現してくれるので

本当にわかりやすく、感情もついていきやすいのです。

 

自分の噴火体験の話。

避難行動の話。

これから考えなくてはならない、避難時の環境問題。

 

などなど書ききれないほどの貴重なお話。

 

 

 

わたしには夢があり、

いつか妊婦さんや、これから赤ちゃんを望む女性に昭和新山を案内すること。

 

女性にとってはじめてのお産は

幸福と恐怖の体験です。

 

昭和新山の生まれるストーリーは

そんな女性の心の支えになるんじゃないかなって思うのです。

 

そして生まれた子どもとともに

また昭和新山を見に来てくれたら

世代が引き継がれて行きます。

 

昭和新山はどんどん見える姿を変えていくので

山が木で覆われてしまう前に、

見て欲しいなぁ…。

 

わたしの勝手な妄想であり、夢ですが、

地球と人間が繋がっているというのを

実感させてくれるのです。

 

まだまだ学びの途中の火山ガールですが

楽しみながら学んでいきたいと思っています✨

 

10月にはアポイ岳

11月には伊豆大島

 

火山がわたしを呼んでいる✨✨

 

火山ガールでした🌋

 

 

 

 

 

火山ガールがゆくっ!室蘭からフェリーに乗って早池峰山へ!

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さあ、今度は火山ガールが早池峰山へ行ってきましたよ✨

 

早池峰山(ハヤチネサン)とは…

岩手県にある標高1917mの山。

北上山地の最高峰で日本百名山の一つです。

全山が超塩基性岩のかんらん岩!!

 

蛇紋岩でできているのです。

(岩石の表面に蛇のような紋様が見られることから、蛇紋岩と命名された。ちなみにアポイ岳もかんらん岩で蛇紋岩植物が人気です。)

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ハヤチネウスユキソウやナンブトラノオ、ナンブイヌナズナ、ナンブトウウチソウなどを代表とする、蛇紋岩地帯の植生で、マニアには人気が高い。

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高山植物の好きな人には憧れの山となっているそうです。

 

さて、何故今回私が早池峰山に来たか?

 

洞爺湖有珠山地域のジオパーク友の会の

弾丸ツアーとして、学び含め早池峰山へ登山しました。

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そしてここでミソなのが…

【移動手段】です!!

 

6月に岩手県宮古市と北海道室蘭市がフェリーで繋がりました。

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一日一便しかありませんが、

2棟室であれば片道6.000円、さらにネット割引や早割や、団体割引がありさらにお得!

 

室蘭から宮古への便は

夜20:00時に出港し、室蘭市の今話題の夜景を見ながら軽く晩酌して

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21:00までに風呂に入り(なんと、フェリーに大浴場がある!!洗い場は4つで浴槽には5人くらいは入れます)

 

あとは寝ながら朝の6:00に夜明けとともに三陸入りです。✨

ここからの今回の詳しい行程はまた後ほど!!

 

 

さて、ここからは私が感じたことを

忘れないうちに書き留めておこうとおもいます。

 

忘れもしない…宮古市といえば3.11です。

閉伊川の防波堤を乗り越えて市街地の2階3階あたりまで浸水した場所です。

宮古市田老では津波の最大の高さが39メートルもあったそうです)

 

おそらく良くテレビや写真などでみる乗り越えた時の映像や画像の場所はこの辺りです。

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宮古市の市の職員の方が撮影していた動画の一部をおかりしました。

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フェリー乗り場付近には、高い防波堤も新たに作られていました。

 

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災害から7年経った町並みは、町を取り戻しているように感じ、私たちは復興した町の元気さとたくましさを感じました。

美味しい海の幸も堪能し、景色も人も味覚も最高!!と片道6000円を満喫したのです。

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行きのフェリーではガスで見ることができませんでしたが、宮古から朝の8:00に出港し

改めて海から町を見ることができました。

 

なんて美しいリアス海岸なんでしょうか。

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リアス海岸は海面の上昇で陸地の谷が水没してできた地形で、岬と入り江の複雑な海岸線になっています。

 

だからこんなにも美しい!!

 

ただ…この海岸のなかでも特にV字型の入り江に入り込んだ津波は、両岸が狭くなるため、波が一層高くなるのです。

 

そのため、写真ではうつせませんでしたが、

今ではそれはそれは高い防波堤が建設され、

海からもそれがわかるほどでした。

 

自然の目線に立ってみてみることの重要性を、私は有珠山昭和新山での減災教育から学びました。

 

年に数回しか行われない、入山禁止区域内に登山し

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山から自分達の町を見下ろしてみる。
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下から見上げてみるのと、山から見下ろしてみるのとでは、見える世界が全く違うことに驚きます。

 

その場所に立って山の気持ちで町を見下ろしてみたならば、何故自分がこんな近い距離を選んで住んでいるのか?

 

ちょっと怖くなります。

 

でもこの怖さが、自然を知ることだったり災害が起こった時に行動できる力に変わるのではないかと思うのです。

 

『正しく怖れる』というのが、減災教育を学ぶ上で大切な部分ではないかと…私は思うのです。

 

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フェリーから、このリアス海岸をみながら美しさの中にある自然の威力。

 

宮古市で見た弱さの中の人の強さ。

 

私たち洞爺湖有珠山地域で活動するジオパーク友の会の一員として、そして洞爺湖有珠山地域で防災教育に力を入れて行きたい人として、今回凄く良い旅をさせていただきました。

 

自然とうまくお付き合いしていくにはやはり、見て、体験して感じなければならないと再確認しました。

 

今回のこの新航路ができたことによって例えばフェリーでそういう災害の学びができる場所や人を配置するとか、

 

北海道に来るインバウンド客が北海道とこのフェリーに乗り宮古に来て災害ツアーを体験するとか、はたまた互いの地域の子供達で復興フォーラムや減災フォーラムをやるとか、何かそういう繋がりを持てたら、ハード面だけでないソフト面での新たな新航路ができるんではないか?

 

と…密かに思うのです。

 

何はともあれ、自然とは偉大で人に幸せを与えてくれますね。

 

今回はそれが体感できて良かった!!

楽しかった!

 

今のところフェリーは順調に…

そして出港から2時間弱…電波もあります。

続きはまた次回へ!

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火山ガールがゆくっ!火山学者と学ぶ有珠山。

昨日は地元の小学生と火山についてお勉強に行ってきました。

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火山の地熱の暖かさに盛り上がる子どもたち。

火山の主治医とも言われる火山学者の先生と・・・・

 

地元というのは…

北海道の美しい「洞爺湖」のある町

壮瞥町』です。

 

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今は行くことが出来ませんが特別な許可を得て、有珠山の北外輪山より・・・

壮瞥町有珠山昭和新山有珠山の側火山)という、生きてる活火山のすぐ側に町があります。

 

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昭和新山の山頂から見下ろすと自分の住む町の近さに驚き。

大きな噴火で言えば、1977年に噴火がありました。

 

2000年には隣の洞爺湖町の生活圏内に火口がいくつも出来、いつなん時、何が起こるかわからない、災害について改めさせられる噴火も起きました。

人的被害は無かったものの、あってもおかしくない場面は、いくつもあったようです。

 

そんな活火山と共に暮らす備えとして、

1983年から、子ども郷土史講座という有珠山への登山の事業が行われ始め、火山学者である岡田弘先生が、子どもたちと町民と火山へ行き『火山とは?』と、この火山と共にどのような心を持って共生すれば良いのか?を学びます。

 

私は横浜からこの壮瞥町に移住して来てすぐに

岡田弘先生と出会いました。

 

大学の教授というと、

研究に没頭し、研究室に閉じこもったイメージ、あまり人の声に耳を傾けない、一方的な主張…とかとか、勝手な先入観を持っていましたが…

 

それは私の勝手ないけないイメージです・・・

 

岡田先生は

『火山は決して怖いだけじゃないんだよ』

と、火山を良く知ることを教えてくれました。

 

有珠山 火の山とともに

有珠山 火の山とともに

 

 そして、この「有珠山火の山とともに」という本を私に下さいました。

 

 移住した当初は火山の噴火が頻繁に起こる場所とは知らずに引っ越してきてしまたので、結構ネガティブな感情を抱いていましたが・・・

今ではそれも一変して、火山が大好きになってしまいました。

 

それは知ったからです。火山を地球をそしてここで暮らしてきた人々の歴史を。

 

ここには火山とともに生きてきた人々の暮らしがある、そこに学びがあると、

岡田先生から学んだ、今から約100年前のここでの一つの歴史をご紹介したいと思います。

 

歴史の非科学と科学が共生した時代の瞬間・・・

 

 この地域にはアイヌの人々が昔から住んでいました。

 

そして度重なる有珠山の噴火と向き合ってきた歴史があります。

多くの犠牲といえば1822年に火砕流の影響で100名近くの方が(諸説ありますが)亡くなったと記録があります。

 

こちらの写真は1910年の貴重な写真です。

 

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岡田先生よりご提供いただいた貴重な写真

有珠山が噴火前に前兆地震を起こすという特徴があると知っていたアイヌの人々は事前に避難をしました。

しかし、一部のシャーマン的役割である人たちは、きちんと正装を行い、刀を持って有珠山に対し祈祷をしています。

神様には良い神様と悪い神様がいて、この山で起きている地震は悪い神様の仕業だと、良い神様に出てきてもらいこの悪さを沈めてもらおう・・・

その祈りの儀式がこの写真で写っている「ロルンベの祭り」です。

 

では、時を同じくして、この山の反対側では何が行われていたか?

 

この有珠山の前兆地震の噂を聞きつけた室蘭警察署長(今でいう伊達地域)がこの現地に訪れます。(この有珠山のある町から車だと20分くらいのところです。)

 

そして西紋別村の村長と行き合い、もしかしたら噴火するかもしれないからと、

避難勧告を出し人々へ避難を呼びかけました。

すると次の日もっと地震が強くなり、いよいよ噴火するかもしれないと、勧告から避難指示に切り替えて、山から12㎞圏内の人々全員を山から遠ざけました。

 

すると・・・?

この次の日の夜に有珠山は噴火したのです。

 

そのおかげあって、被害者は出なかったそうです。

 

この室蘭警察署長さんはなぜそのような判断ができたかというと・・・

東京帝国大学の大森房吉先生の警察監獄学校において大森先生の火山学の講義を受けて事前避難対策の重要性を学んでいた、その経験が見事に生かされたという事だったのです。

 

1910年以前の1902年に発生した20世紀最悪の噴火災害と言われるプレー火山噴火は約28、000人が犠牲になりました。

 

同じくして日本でも1902年に鳥島噴火(東京から南方洋上約300㎞の位置にある伊豆諸島最南部の東京都下の小島)で海鳥の羽毛を採取させようと送り込んだ125名の島民が突然の噴火により全員犠牲になりました。

 

世界の人々は「火山」について科学的に研究をしようと舵を切り出したのです。それは多くの犠牲がありその上に歴史が上塗りされているからです。

 

地球と向き合うということの歴史的な背景にはこのように命の重みがあるのだと私は感じました。

 

だからこそ、災害で失って良い命なんて一つとしてない、

そのためには、人々が地球について知る、行動できる、そのようなスキルが必要なんだと思います。

たった一つの光の命を失うことなく、度重なる地球の現象をやり過ごすためには、私たち人間側の「行動」で多くの場合それは変えられるのだと思います。

 

有珠山のすぐ麓で暮らすことは、一見リスクなのかもしれませんが、

こうしてきちんと向き合い、恐れるだけではなく、知ることでその恐れを減らして行くというのはとってもとっても大事なこと、そしてそれは日本全国どこにいても必要なことだと感じます。

 

最後に、岡田先生は子どもたちに

「生きているよね?地球は。皆は生きているってわかるかい?」

 

「それは空気があり、水があり、食べられるものが育つことであり、それが生きている証拠で、もし地球が死んでしまっていれば、砂漠で水もなくなってしまう。月や火星と同じように人は住めないんだよ」

 

「生きているってことはそういうことで、それは火山が火山活動で作ってくれた恵があって私たちは生きているんだね」

 

「みんなも生きている地球、生きている火山をよく知って、仲良しになって、いざという時はどういう行動をすれば良いか、そういう心を持って地球と楽しく過ごしてくださいね」

 

とお話ししていました。

 

そんな活動をこの地域では35年も続けられています。

 

人々が住む地域でこのような学びが浸透すれば、きっと私たち人間はもっと知恵がついて災害をなくすことができるかもしれません。

 

と、そんなレポートを今日は書き綴りました。

 

 

火山ガールがゆくっ!タモリさんと同じ年の…山とは??

あぁ…随分と長い間更新が途絶えていました…

 

気を取り直して…最近会った事から書きますね!

 

私が火山ガールになって、早1年が経とうとしています。

 

火山に目覚め、すっかり今ではオタクのように火山を追いかけておりますが…

 

そのきっかけになったのは…

そう、タイトルにもありましたが、タモリさんと同じ年の『昭和新山』です。

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丁度一年前の今頃

洞爺湖有珠地域のジオ友の会』主催の

昭和新山登山学習会へ参加しました。

 

毎年この時期に普段入山できない昭和新山へ学習会のために、一般参加者を募集し、

登山学習会を実施するのです。

 

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凄い…総勢40名近くいます。

 

私は今年、2シーズン目を迎え、新たな気持ちで参加させて頂きました。

 

昭和新山から見下ろす洞爺湖

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こちらは私の住む壮瞥町

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私が今でも忘れられないのが、

この昭和新山の持ち主でもあり、ジオ友の会代表でもある三松さんの言葉。

 

『普段見ている昭和新山に登って、その山頂から自分の家を見下ろしてみてください。

遠いと感じていた昭和新山との距離が実際は近いという事を実感するでしょう。

噴火が起きたら、なぜ逃げなくてはならないか?山に登れば分かります』

と。

 

そんなメッセージを頂いて、いざ山の上に行ったならば、全くその通り。

 

あぁ、ここで噴火しそうになったら、絶対すぐに逃げよう。

 

そう思います。

そう思えたならば、この登山学習会は本来の目的を果たせた事になりますかね…!

 

日本100名山を登る、制覇する!!

みたいな、登山とは違い、

あくまでも減災教育という視点で行われる学習会です。

 

普段は入山禁止でありのまま保存される

昭和新山

その山に足をつけ、温度を感じ、山の音を聞き、生きてる山と日々暮らしてるのだと実感する。

 

そして、私も生き抜こうとパワーをもらう。

 

ますます、火山熱が高まったのでありました。

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ちなみに…その次の日は

名教授とともに有珠地域を回る学びの会でした。

 

火山付けの二日間。

火山ガール、今年も熱を上げて生きます!

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火山ガールがゆく、洞爺湖有珠山で火山国際交流の巻!②

こんにちわ!洞爺湖有珠山に住む火山ガールのカッピーです!!

洞爺湖有珠山地域では只今紅葉が見頃ですよー!!

なんと紅葉が火山色で真っ赤赤!!まるでマグマのような木に火山ガール、心を揺さぶられておりました・・・

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壮瞥町にあります東洞爺湖畔がすっごく綺麗な今です。



さて・・・本日は前回の続きです・・・

hippykayappy.hatenablog.com

 

和歌山大学の研究生で今回通訳をつとめてくださった間中さんの研究のお話が非常に興味深かったです、そちらも少し書き留めておこうと思います。

 

ということで、前回終わっていました。

 

間中さんはアンディさんの村に実際に住んでインドネシア・ムラピ山噴火災害に起因する観光展開とその影響についての研究をされたそうなんですが、そのお話を伺って…

 

一番興味深かったのが、もともと畜産や林業や農業が中心だった村が噴火の火砕流の災害によってそのほとんどが消失してしまった後に、観光業が盛んになり、観光業としての収入源が増えていった。

という点でした。

 

「観光」という点で言えば、噴火災害が起こる以前は「グリーンツーリズム」というコーヒーを栽培している場所を見学してもらい、実際にコーヒーを飲んでもらうというようなことや、乳搾り体験や伝統的な踊りを披露する、というような年間200人での集客が見込めたツーリズムが行われていたそうです。

 

アンディさんの村は断続的な火砕流の被害によって多くの被害があったのですが、その噴火災害後、多くの方がアンディさんたちの住んでいた近くの集落に訪れるようになったそうです。

 

それが観光資源が生まれるきっかけになったのではないかと思うのですが、なぜ人々が訪れるようになったかというと、インドネシアでは知らない人がいないという有名な方が噴火災害で亡くなり、その方にお別れにきたり、実際に被害にあった家を見に行ったりということで、沢山の方が訪れるようになったそうです。

 

その方とはムラピの精霊と通じる「守護者」として数十年にわたってカリスマ的存在だったマリジャンさんです。

 

マリジャンさんについて色々調べましたが、興味深かったのが、2010年の噴火が起こる前の2006年噴火について、ナショナルジオグラフィック社のこちらの記事で、ムラピの守護者マリジャンさんが村を噴火災害から守ったと、住民から多くの指示を受けたというような記事です。

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

2010年の噴火で亡くなったマリジャンさんについては、日本の朝日新聞社でも紹介されています。

asahi.com(朝日新聞社):「山が怒っている」 噴火続くインドネシア・ムラピ山 - 環境

スカルディさんら地元住民が最も衝撃を受けているのは、同山の精霊と通じる「守護者」として数十年にわたってカリスマ的存在だったマリジャン氏(83)が、26日の噴火の際、火砕流に巻き込まれて亡くなったことだ。同氏は、ジャワ島中部で栄えたイスラム王朝の血を引くスルタン(君主)でジョクジャカルタ特別州知事のハメンクブウォノ10世の従者だった。同山が活動を活発化するたびに、避難を呼びかける政府の警告より、「マリジャン師が『大丈夫』と言っているから」と、自宅にとどまって牛や畑の世話を続ける住民も多かったという。火口近くに住み、山の精霊へささげる儀式や祈りを取り仕切っていた同氏は、26日の噴火の際にも「自宅で祈り続ける」と避難を拒否。その亡きがらが、ひれ伏して祈りをささげた姿のままだったという「伝説」が広がり、「山の怒りを静められる人がいなくなった」と人々の不安が高まっている。大きな噴火のたびにパニック状態に陥ったり、気を失ったりする人々で大騒ぎになっているという。

▼注目すべき点はこちらかなと思いました。▼

マリジャン氏宅付近ではこれまでに地元記者らを含む16人の遺体が発見された。同氏の死亡も家族が確認した。

マリジャン氏は前回2006年の噴火の際、政府の避難命令に応じず、山の「怒り」を鎮める祈りをささげ続けて一躍有名になった。今回の噴火に合わせて地元記者らが取材に訪れていたとみられる。記者の一人は以前、噴火の際は祈りをやめて避難するようマリジャン氏に促していたという。

 

1910年、今から100年近く前ですが、実はここ有珠山噴火でもアイヌの方が祈りを捧げる写真が残っています。

その写真はこちらの記事で紹介しているので良かったらご覧ください。

ameblo.jp

 

ここ洞爺湖有珠山地域では2000年噴火の際に有珠山周辺地域の住民が噴火の恐れがあるということで事前に避難をしました。

人々が住む住宅地のすぐそばで火口ができたにも関わらず一人の命も失うことがなかったと、「減災」に力を入れている地域として世界でも注目されています。

 

このマリジャンさんの起こした行動は果たして正しいのか?どうなのか?…人の命を守る避難行動が大切と減災活動を学ぶ地域住民として、そこに注目をしてしまいます。

 

ただ、日本よりもより、宗教的な信仰が強いですし、一方的な評価はできませんが、一つとして「前回大丈夫だったから今回も大丈夫だろう」という思いは少なからずあったのではないかと思いました。

 

自然は一つとして、同じ現象は起こさない、そこに対する畏敬の念として、時には逃げるという行動も大切なことではないかと、私個人的には感じました。

 

しかし、マリジャン氏が多くの方の心の支えになっていたことは、亡くなった後に人々が絶えることなく訪れ、死を惜しんだというところから愛されていたことがよくわかると思いました。

 

この町ではあまりにも多くの方が訪れるので

『ダークツーリズム」なるものが生まれ、マリジャン氏にまつわるグッツ販売から、入場料を徴収するシステムから野菜などを販売することなど、仕事を失った人がそこから収入を得るような観光業がはじまったというのです。

 

その集落に人々が集まった帰路のアンディさんたちが住む集落でボランティア活動に参加する方が増えたり、多くの被害が生まれた場所に新たな光が灯し出した、そんな一面が非常に興味深いなあと思いました。

 

このダークツーリズムと、ボランティアツーリズムが走り出した後、

そこから新たに生まれたのが「JEEPに乗り込んで災害跡を周遊しよう」という新たなツーリズムです。

 

このジープがすごく人気のようで、1回で2000円(日本円で)の収益があり、10回の集客が見込めれば、それだけで一ヶ月間の生活が成り立ってしまうほどのビッグビジネスのようです。(一般的な仕事のだいたい初任給が2万円ほどのようです)

 

実際に日本でも「ボルケーノジープツアー」とか「火山跡をジープで巡るツアー」とか参加してレポート書いている方もいますね!!

blog.his-j.com

japanesia.net

 

何れにしても、「楽しい!!」と評判のツアーのようです。

 

そういった人気ツアーということもあって、このジープツアーへ参戦する人も増えたようです。

 

ジープツアーの成功と参入者の増加

2010年 0組合(3~4台

2014年 4組合(103台

2016年 12組合(350台

 

アンディさんの集落ではそれに伴い新たな私設博物館を開館させたり、コーヒーの試飲・販売所のオープンを行うようになったそうです。

 

と、いうことで、畜産業・林業・農業の復興の穴埋めを観光業でまかなうという貴重な例をご紹介いただき、私たちが住む洞爺湖有珠山地域ではもともと「観光業」が主なので、私たちの住む地域との違いを知ることができました!

 

彼らがここでの経験を地元に持ち帰り、どんな活動に活かされて行くのかとても楽しみです(^^)

 

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また何か交流や発展があればご報告したいと思います。

 

Terima Kasih

 

 

 

火山ガール、洞爺湖有珠山で火山国際交流の巻!①

火山が大好き火山ガールこと「カッピー」です!!

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下北半島ジオパークのレポートですが・・・少々時間がかかっているためアップは次回に・・・

 

今日は、先日「洞爺湖有珠山」にインドネシアは「ムラピ山」から火山関係者の方が来て交流事業を行ったのでその様子をレポートしておきたいと思います。

 

言葉は通じなくとも「火山」を通じ交流ができるという喜びを今回味わった火山ガールです・・・。

火山性ウイルスが脳まで犯されております重症患者です。

 

インドネシアといえば、世界的に見ても活火山が多い国ということで有名ですが、その数およそ130もあるとのことご存知だったでしょうか?(日本は111もの活火山があると言われています)

 

「ムラピ火山」は噴火活動が活発な火山として世界でも注目を浴びています。

 

ムラピ火山ウィキペディアより注釈)

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は、インドネシアジャワ島中央部の火山である。インドネシアでも最も活動的な火山で、ほぼ1年中噴煙を上げ、1548年以来68回噴火をしている。名称は「火の山」の意味。メラピ山とも書かれる。スマトラ島中部にも同名の火山がある。活動は40万年前から始まり、1万年前から活発になった。安山岩質の溶岩ドームを崩落させて火砕流を起こすことで知られ、メラピ型火砕流と呼ばれる。同様の例としては、雲仙岳がある。

 

今回神戸のFMわぃわぃというコミュニティラジオの理事をする日比野さんと和歌山大学の研究生で現在ムラピの災害観光の研究を行う間中さん(この旅の通訳も行っています)とムラピ山で災害に強い村づくりに励む三名が、有珠山地域の取り組みを学ぶプログラムとして訪れました >>>今回神戸のFMわぃわぃというコミュニティラジオの理事をする日比野さんら阪神淡路大震災の被災地から四名と和歌山大学の研究生で現在ムラピの災害観光の研究を行う間中さん(この旅の通訳も行っています)、そしてムラピ山で災害に強い村づくりに励む三名の計八名が有珠山地域の取り組みを学ぶプログラムとして訪れました。

【この取り組みは国際交流基金アジアセンター・アジア市民交流助成プログラムで平成15年から始まった洞爺湖有珠火山マイスターとの減災活動の交流・情報交換事業として実現しました。】

 

▼私はなんと今回火山マイスターとして初仕事を1977年有珠山噴火遺構公園でさせていただきました。火山関係者で海外の方(通訳あり)へのガイドの難しさも同時に体験する貴重な機会でした。

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私が意識したことはムラピで起こる災害の多くが火砕流だということを認識していたので、この遺構公園の「倒壊した病院」は地殻変動で起こった災害で、この倒壊は噴火の直接的被害では無かったという点をお伝えしました。

その一文「マグマの特徴の違いなどを伝えた」が新聞で紹介されましたが、火山が起こす災害が色々あるんだということをムラピの方と話したかったというのがありました。

▼新聞やテレビの取材も入る交流事業となりました。

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有珠山では過去に火砕流で多くの犠牲者を出した災害も起こっています。そしてこの建物が倒壊したような地殻変動も起こします。ムラピでの火山災害ではどうですか?」

という質問から情報交流ができました。

回答としては災害の多くは火砕流や土石流(泥流)で、さらにいえば多くの犠牲者を出した とのことで、このような災害例に非常に衝撃を受けたということでした。

 

その後は有珠山ロープウェイ

洞爺湖展望台で洞爺湖を一望しながら火山マイスターの名ガイドの

「後藤マイスター」により、洞爺湖の歴史、昭和新山の誕生ストーリーなど素晴らしい景色の中でガイドが行われました。

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洞爺湖展望台

火口原展望台へ・・・

この火口原展望台は40年前の1977年の火山活動でできた大きな火口を観察することができます。地球は生きているんだ!!とその温度感や力を目で見て感じることができる最高な場所!!もちろんムラピの方々も興味津々でした!!

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火口原展望台

その後は、新聞にも掲載された「三松正夫記念館」へ。

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火山に魅せられ、火山に一生を託した三松氏が克明に書き綴った昭和新山生成の記録をはじめ、 書画の才能あふれる巧みなデザインや書簡などの貴重な資料を展示。

三松正夫記念館の館長である三松三朗さんのお話を食い入るように聞く方々です。

ムラピの方も「有珠山に関わる方は次の噴火への意識を持った行動をして素晴らしい」という感想も持っていました。

 

そのほかの見学は洞爺湖中央モーターボートさんのボートに乗って・・洞爺湖の真ん中に位置する中島へも行きました!

こちらも火山マイスターでもあり、この地域でネイチャーガイドとして活躍しています名ガイド江川さんによる有珠山洞爺湖、中島のお話・・・

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ボート、これは大喜びの様子でした!!

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このように洞爺湖有珠山の様々なジオサイトを回りながら、有珠山の過去の噴火歴史や噴火による火山災害から町がどのように復興して来たか?など多くの交流が行われました。

 

天気に恵まれながらのフィールドでの活動もあり、洞爺湖観光情報センターでの「情報交換会」もあり・・・この情報交換会ではムラピでの活動の様子を伺うことができました。

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私は途中参加でしたので全てを聞くことができませんでしたが、その聴いた中で印象に残ったことがこちらです。

 

【ムラピ山でコミュニティラジオで活動中のジャックさんのおなし。】

・ラジオの活動資金を地域で育てたコーヒーを焙煎したものを販売して資金にしたり、観光客の登山ガイドや、子供達の課外活動のサポートで得た利益の20%をラジオ局で得ている。

・この先の噴火に備えて避難場所になるであろう人々と定期的に交流事業を行なっている。

 

【ムラピ山でコミュニティラジオで活動中のアンディさん(大学院生)のおなし。】

・私は火口から7キロという場所にあった集落に住んでいた。2010年の噴火によって火砕流の影響を受け80パーセントの集落が火砕流の直撃で住めなくなった。その後2年という長い仮設住宅での生活が続いた。なぜ長くなったかというと、多くの集落が被害にあって、4つの集落が集まったため、なかなかうまく復興住宅の確保に進まないため。

・被災前と被災後で変わったことは、私たちの住んでいた集落は畜産・林業・農業が多く、それらをほとんど失ったことで仕事がなくなった。体が動く若い人は長距離移動をしながら仕事へ行くが、それができない人が集まって(ここでは年配の方を指しています)テンペ作りを行うようになった。

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お土産でいただいたテンペ(日本の納豆のようなもの)

以前行なっていた乳搾りは今でも同じように行われている。

洞爺湖有珠山地域のみなさんが私たちは火山の恩恵を受けて生活しているという話をしていましたが、私たちも同様に火山の恵みでジンジャーを育てていたり、ジャワの砂糖を育てていたりします。そこから私たちはムラピの山麓で採れた原料を元にジンジャーシロップを作りファンドレイジングとしてコミュニティFMの資金源としています。

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アンディさんからいただいたジンジャーシロップ。壮瞥産りんごも使いアップルジンジャーケーキを作って食べて頂きました。

この活動がインドネシアの起業家やそれを目指している人たち10人を選ばれ、賞を頂いて、評価された。

・私たちの住んでいた集落が災害後大きな観光地になったという大きな変化があった。

 

というお話を聞くことができました。

 

実際に生の声を聞けたことが大きな意味があり、そして自分たちの地域と照らし合わせてみるのも大切なことかと思いました。

 

その後に、和歌山大学の研究生で今回通訳をつとめてくださった間中さんの研究のお話が非常に興味深かったです、そちらも少し書き留めておこうと思います。

 

・・・・・ということで長くなってしまったのでそれは次回に・・・

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有珠山という火山からどのような世界を創造したのかとっても興味が湧きます!



火山ガールがゆく!「下北ジオパーク」へ行ってきました!!と・・・その前に。

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山ガールとは・・・かざんが、あるとこに住むガール= 火山ガール

 

とも訳せます。

 

山ガールに負けじと「火山ガール」の普及に努めます!!

 

私の住む「洞爺湖有珠山ジオパーク」では

 

「火山性ウイルス」なる言葉が流行しています。

 

これは火山の虜になった人たちのことを言うのですが(私はそう言う認識をしております)

 

この洞爺湖有珠山ジオパーク周域に住む方々はこの

「火山性ウイルス感染者」続出のようです。

 

私はと言うと、横浜から有珠郡壮瞥町に移住してきて間も無く、

(その移住経緯はこちらをご覧ください・・・移住エピソード

 

感染したな・・・と思っております。

 

何故ならば・・・・

この地域は「生きている大地」活火山と共生する町であり、

世にも珍しい民間が所有する火山で天然記念物にも指定されている

 

昭和新山」なる町のシンボルの火山が存在するからです。

 

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なんとも美しい姿。

惚れ惚れしてしまいます。

 

昭和新山は昭和18年から20年にかけての火山活動によって

麦畑が隆起してできた山なんです。

 

なんとその昭和新山の誕生を見守り、観測し続けていた方がいるんです!!

それは「三松正夫」さんと言う方です。

 

三松さんの観測し続けてきた記録がのちに

「ミマツダイアグラム」として、世界で唯一の火山誕生の記録として評価されました。

(・・・詳しくはこちらを参照ください。)

 

さらに三松さんは火山誕生の観測記録を生み出しただけでなく、その後この山を全財産叩いて買い、火山の所有者となったのです!!

(そこには涙無くしては語れないエピソードがあるのです・・・そのお話は是非昭和新山に訪れて知ってくださいね!)

 

現在は三松正夫さんのご子息で三松正夫記念館の館長が所有者となっています。

 

私は現在、北海道有珠郡壮瞥町の地域おこし協力隊(嘱託職員)として役場で勤務していますが、勤務初日、ある方の隣にデスクを置くこととなります・・・。

 

ある方とは・・・

なんと!この「三松正夫」さんのお孫さんだったのです。

(これから任期3年の間、私の上司となります)

 

昭和新山は天然記念物で所有者は民間の方だった!!」

と言うだけでもびっくりなのに、隣に座る方がまさかのまさか、三松さんのお孫さんだとは、お口があんぐりでした。

 

昭和新山のお話を聞いたり実際に昭和新山に足を運んでみたり、地球のダイナミックさを目の当たりにし、もう火山が私の心を鷲掴みにしていくのです。

昭和新山は何万年、何十万年、何百万年、何千万年、何億年と言う様々な歴史を持つ地球のダイナミズムと比較すると誕生して「72年」と言う月日ですから・・・できたばかりのお腹の中にいる赤ちゃんのような感じもします。

 

生きているうちにこんな山と出会えて、ともに過ごすことができるのは

とっても幸せなことです。本当に来てよかったなあと感じる日々です。

 

そしてそんな出会いから広がり、今ではいろんな火山が気になって気になって

知りたくて知りたくて・・・「火山ガールが誕生したと言うわけです。

 

日本には43のジオパークがありますが、まずはこの43のジオパークを制覇するのが私の目標です。

 

そこからまだ認定されていないジオパークを目指す地域のことや、あまり知られていないジオ(地球)の魅力がたくさんあると思いますので発掘していきたいですね!!

 

と言うことで、先日有珠郡壮瞥町に事務局を置く

洞爺湖有珠ジオパーク友の会」主催の「下北半島ジオパーク視察」に行って来ましたのでその様子をレポートしたいと思います。

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・・・・次回へ続く・・・・